親子の確執〜 ハトシェプスト女王葬祭殿/LUXOR 〜2001/8 |
ネフェルタリ王妃の墓も絶対に!と念を押して、王家の谷を回ってもらうことにしました。朝5:45にホテルのロビーで待ち合わせたリモンさんは、大使館で日本語を習ったそうで、とても丁寧な、立派な日本語を話します。 6:00までは観光の車はナイル川対岸に渡れません。待機していると、係りの人がリモンさんに「いくよ!」と声をかけてくれて、1番にダッシュです(^_-)。やはり夏のシーズンは人が少ない。拍子抜けするくらい楽に、ネフェルタリのチケットも買えました。 ハトシェプスト女王の葬祭殿に向かったのは、6:30くらい。朝日が昇ってきて、葬祭殿の切り立った後ろの岩壁の色が、うすいピンクからだんだんとオレンジに染まり、とっても美しい。山の上の方には、ヤギの道?ポリスが登る道?が、ワジケルトのように続いています。 ハトシェプスト女王は、子どものトトメス三世のかわりにファラオとなり、公式の場ではあごひげをつけ、腰布を巻いて男装していたそうです。この葬祭殿にある彼女の像やレリーフは、ほんとに見事に、執拗に破壊されていました。リモンさんが、「ここは、ハトシェプストのXXXしている図がありましたが、トトメス三世によって、削り取られました」と、あちこちで説明してくれるので、このフレーズをお子ちゃま達も覚えて、“けずり〜とられました〜”と抑揚をつけて、一緒に言うほどです。どんな母と子だったのでしょう... Security: 入り口でやはり手荷物検査がありましたが、翼と樹のリュックを開けながら、兵士が“No Bomb?”とにこにこ訊いていました。 記 2002/3/3 |
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